片鱗を手がかりに

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



先日、七夕を過ぎました。

皆さまは何かお願いごとはされましたでしょうか。

大人になると、お願いごとをする機会は、子どもの頃に比べるとぐっと減ってしまうものかもしれません。

小さなお願いごとであれば、願うばかりではなく、自分で叶えられるようになったからかもしれませんし、大人になると、願いよりも現実に意識を向けなければならない場面が多くなるからかもしれません。

とはいえ、歳を重ねたからといって、願うことが一つもないという方はいないのではないでしょうか。

はっきりと意識しているにしろ、ぼんやりと思っているだけにしろ、大小さまざまな「こうなったらいいな」という思いは、どんな人の心の中にもあるように思います。



以前、毎月のセミナー・ワークショップを開催していた時に、七夕にあやかって、願いを書き出すワークショップをしたことがあります。

現実を見る場面が増え、自分の中の願望を扱う機会が減るということは、自分が本当には何を望んでいるのか、自分でもよく分からないまま生きているということかもしれません。

ワークショップでは、小さいものでも大きなものでも、現実的でも非現実的でも関係なく、とにかく思いついたものから、どんどん自分の願望を書き出していくことからはじめました。

ふせんや単語帳のような紙に、一枚に一つの願いごとを書き出していきます。

荒唐無稽でも、とても小さなことでも、ちょっと気後れするようなことでも、できる限りなかったことにせず、ちょっと思ったことでも、とにかく頭によぎったのであれば、紙に書き出していくのです。

ワークショップなので、どうしても時間制限はありましたが、できればもうどんなに絞り出そうとしても思いつかないというところまで書き出してみます。

その後、書き出した願いごとたちを眺めてみて、これとこれはつながっていそうとか、これとこれは同じ系統のことだなというように、自分の中で関連のあるもの、グループにできそうなものを、なんとなくでもいいのでグループ分けしていき、最終的に全部を総括した三つの願いごとにまとめて、三つの短冊に書いて竹を印刷した台紙にそれぞれ飾ってもらいました。



一枚に一つ書き出したどの願いごとも、最終的にまとめた三つの願いごとも、自分の中にすでにあったものです。

しかし、書き出してみるまで、自分の中にこんな願いごとがあったのかと、気づいていなかったものも少なくありませんでした。

一つひとつは自覚していたとしても、この願いごととあの願いごとが実はもっと大きな願いごとに関連していたとか、自分が叶えたいと思っていた願いの先には、自覚していなかった大きな理想につながっていたとか、ただ思っていただけ、書き出しただけでは気づかなかった、自分の願望のつながりや、向かう先を見つける機会になったという方もいらっしゃいました。

人は、自分が何を望んでいるのか、自分でよく分かっているように思いながら日々を過ごしているかもしれませんが、その本当のところを実際にはそれほど明確に把握していないまま、暗闇で突くビリヤードの玉のように生きているのかもしれません。



願望とは、それが小さなものであれ大きなものであれ、私という人生をどんな風に生きたいか、ということにつながっています。

本当のところが分からないまま過ごすということは、どう生きたいか、どう生きれば自分は満たされるのかということが分からないということです。

誰しも、自分だけの人生をどう生きたいか、その本当のところはすでにいつも自分の中にある。

けれど、それは焦点化されるまで気づかないままいることもできてしまう。

頭に思い浮かんだその言葉で表される願望が、本当には何を表したものなのか。

自分の望みを深堀りしてはじめて気づくこと、分かることというのが、意外にもある。

もし、望みを叶えたはずなのに満たされないと感じられる時には、本当に望むところ、望みの核心にまだ至っていないということかもしれません。



大人になるとなかなかないかもしれませんが、たまには自分の願望と向き合う機会を持ってみるのもいいかもしれません。



あらあらかしこ

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