
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
1月17日に冬土用に入り、2月3日の立春に向けて、暦の雑節では季節の変わり目のタイミングです。
東京では、統計開始以降最も早く、花粉の飛散が確認されたそうです。
大寒を過ぎたばかりですが、早くも春の気配は近づいてきているようです。
花粉症をお持ちの方は、早めの対策で備えたいですね。
仕事初めから約2週間が過ぎ、休み明けの忙しさもひと段落ついたという方も多いのではないでしょうか。
「忙」という字が「心を亡くす」と書くように、忙しい時は「余裕」「余白」「余力」といった、あらゆる面での「ゆとり」が犠牲になります。
「余」という字が誤解を招くかもしれませんが、忙しい時に犠牲となる「余裕」「余白」「余力」というのは、実際には「余っている」というわけではなりません。
本来であれば、他の物事のためのものであった時間であり、労力であり、精神的な余裕であったもので、忙しさに費やされた分のしわ寄せはなかなかに避けがたいものです。
「余裕がない」で検索すると、「焦り」「イライラ」「周りが見えなくなる」「切羽詰まった」「限界状態の」といったワードが並びます。
「余裕」は、穏やかで落ち着いた状態には欠かせないコンディションであり、決して「過剰」であったり、「無駄に残って」いて、「忙しい」に費やされても大丈夫なものではないのです。
近年、さまざまな領域で、「余裕」「余白」「余力」「余剰」といったものが、「無駄」とみなされることが増えました。
何か「意味のあること」で予定を埋め、経歴を埋め、無駄を排除し、もっともらしい言説で生活の端々から少しずつ余剰が削り取られ、そうしているうちに心の余裕も少しずつその幅を狭めて、さまざまな場面で余裕のなさがもたらすものが表面化してきています。
心の余裕、心の余白。
生活の余裕、生活の余力。
時間の余裕、時間の余白、等々。
そうした「余」の部分が、新しい可能性、さまざまな選択肢、広い視野、そして思いやりを担保する土壌となるのでしょう。
生活の中で、さまざまな「余」が侵されている、脅かされていると感じることがもしあれば、ご自身のゆとりを守るために、しっかりと境界線を引いてあげてください。
もちろん、できる時もあれば、できない時もあるでしょう。
しかし、自分自身に必要な「余」を守る、守りたいんだという姿勢を自分自身に示すことは、決して無駄なことではありません。
自分を育むために必要な「余」を、大切に守ってあげてください。
あらあらかしこ
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