こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
新型コロナウイルスに罹患後、無事に自宅療養の隔離期間があけた後も、しばらく咳と痰の症状が続きました。
軽症者の感染性のウイルス排泄は、発症後10日以降はほぼないとする国立感染症研究所のまとめがあり、おそらく保健所指示の隔離期間の根拠ともなっているのだと思うのですが、呼吸器症状が残っているとどうしても気になってしまうところです。
おかげさまで、まだわずかに咳が残る以外は、ほぼ通常の状態に快復しております。
あたたかいお見舞いのメッセージをいただいた皆さまに、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。
新型コロナウイルスは、症状の程度も後遺症の有無も予測できるものではありません。
まだ効果と安全性に確かな信頼のおけるワクチンも治療薬もなく、変異するスピードも症状が悪化する時のスピードも早い。
第七波に酷暑、局所的な豪雨と、大変な晩夏となっていますが、皆さまどうぞ御身大切にお過ごしください。
新型コロナウイルスの流行を契機に、世界中さまざまなところ、さまざまな状況で「分断」が浮き彫りになることが増えました。
ある一つの出来事について、ある人たちはこう考え、別の人たちはそれとは異なる考えを持つ。
それ自体は至極あたりまえで、古今東西、集団の大小を問わず、個と個が分かたれている以上、どんな物事についてもすべての人がまったく同じ考えを持つことはあり得ないことです。
だからこそ、昨今は「多様性」を重視した社会の在り方が模索されています。
一方で、さまざまな事象に対して、社会の「分断」も各国で大きな問題として浮かび上がってきています。
個と個がそれぞれに「異なっている」ことはあたりまえのことですが、考え方や判断の違いに特に利害がかかわるとき、単なる「違い」から「分断」という対立になってしまうように思います。
たとえば、ある出来事について、Aの考えに基づいて対応することで利があるグループと、Bの考えに基づいて対応することで利があるグループは、各々の利が通るように利害が対立するグループの間違いや不足を指摘し合い、批判する。
利害がかかわらなければ、「自分の考えとは違うけど、そういう考えもあるんだね」で済ませられるかもしれません。
しかし、自分がすでに得ている、もしくは得られるかもしれない利が損なわれる可能性を感じると、利害が対立する相手をどうにかして挫きたいと感じてしまう。
その結果、「分断」という対立構造ができあがってしまうのではないでしょうか。
得ている、もしくは得られる利は、物理的なものだけでなく精神的なものである場合もあります。
むしろ、金銭や有利な条件といった分かりやすいものよりも、承認欲求を満たしたり、嫉妬心を晴らしたり、アイデンティティを守る等といった、精神的な利得につながる(もしくは精神的な損害を避けられる)ものの方にこそ、人はより固執してしまうものかもしれません。
対立、分断という形で各々の利を通そうとすると、その先に支払う代償も大きいことは、歴史を尋ねれば枚挙に暇がありません。
自分の求めるところとその行いに自覚的であり、知性と理性の助けを借りて良心に基づいた手段を選ぶ。
誤ることなく選ぶのはとても難しいことではありますが、せめて肝心なところだけでも良心の声を聞き逃すことのないように。
自分が何のために何をしようとしているのか、自覚的でありたいものです。
かしこ
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