「特別」と「普段」を分けるもの

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。

連休につなげてお休みを取っている方も、来週にはいつもの毎日に戻られるのではないかと思います。

ゆっくり休めた方も、連休疲れがある方も、できるだけご無理のないペースで、日常に戻っていけるといいですね。



連休の間、いつもと違う特別な時間を過ごされた方もいらっしゃるかもしれません。

ゴールデンウィークに限らず、「日常」があれば、いつもとは異なる「非日常」の時間があります。

「日常」と「非日常」だったら、どちらの方が好きでしょうか。



実際には、「日常」の一日も、「非日常」の一日も、同じ一日であることに変わりはありません。

「日常」がいつも変わらないように思えていても、実際にはまったく同じに過ごす一日はありません。

どの一日を「日常」と捉え、どの一日を「非日常」と捉えるかは、その人の認識一つでしかない。

楽しい、つまらない、嫌だ、うれしい、しあわせ、かなしい、つらい、ムカつく、等々、その一日がどんな感情によって彩られていたか。

特別な日を「特別」たらしめ、そうでない日と違うものとして際立たせているのは、自分の捉え方、認識によるものではないでしょうか。



連休の間、楽しいことがたくさんあると、楽しかった連休と比べて、いつもの一日がとても退屈に感じられるかもしれません。

連休の間、むしろ大変なことが多かったという方は、いつもの一日にほっとするかもしれません。

それでも、どの一日も、人生の中の「一日」であることに変わりはないのです。



日常を「日常」たらしめる認識。

非日常を「非日常」たらしめる認識。

いつもの「つまらない」毎日があるから、お休みが「大切」な時間になる。

ここぞという「特別」な時間があるから、いつもの毎日が「平凡」に感じられる。



今日という一日に、どんな時間を、どんな体験を重ねたいですか。



あらあらかしこ

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