「他者の視線」という自縛

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



10月も明日で終わりですね。

明日のハロウィンには、イベント等のご予定がある方もいらっしゃるかもしれません。

どうぞ、安全で楽しいハロウィンをお過ごしください。



ハロウィン等、イベントで仮装をするのは、子どもはもちろん、大人にとっても心躍る体験かもしれません。

いつもとは違う装い、いつもとは違う振る舞いは、いつもの自分では得られなかった体験をもたらしてくれます。

ハロウィン等のイベントは、「自分」のままでは表に出すことができなかった側面を、「装う」ことで出しやすくしてくれる稀有な機会です。



自分ではない誰か、自分ではない何かを装うこと、なりきる体験が楽しく、充実したものであればあるほど、もしかしたら普段の「自分」には、知らずしらずさまざまな制限を課しているのかもしれません。

自分とは違う誰かを装うことで表に出せる態度、言葉、行動等があるとしたら、それは装わない自分にも潜在していた自分の一側面でもあります。

自分らしくない、自分のキャラに合わない、そんな人だと思われたくない、等々、意識的にも無意識的にも、人は他者に囲まれた社会の中で、他者から「見られる」視点を内在化しています。

実際にどう思われるか、言われるか、ということ以上に、『「他者からこう思われるだろう、言われるだろう」と想定している
自分自身の思考』によって、自分自身の在り方に制限をかけているのです。

自分じゃない誰かになってしたいことは、制限のある普段の自分ではできないけれど、自分の中に外に表出したい側面がある、ということかもしれません。



装うことで、表出し、表現し、体験することができれば、それだけで十分昇華されるものもあるでしょう。

しかし、他者の視点を意識して、自分で自分を制限する在り方は、もしかしたら普段の自分の在り方に息苦しさをもたらすこともあるかもしれません。

「こうあるべき」を装う普段の自分と、その制限から一時的に逃れるために自分以外を装う自分と、どちらにしても、自分のまま自分自身の自然な態度、言葉、行動を表に出せていない点では変わりません。



何かになりきり、装うことを楽しむのと同じくらい、「見られる」ことを気にせず、自分のまま自分であることを楽しむ体験を、自分にさせてあげることができるでしょうか。



あらあらかしこ

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