正しいと思うことをする時ほど方法は選ばなければならない

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



今年は2月3日が立春、実に124年ぶりのことだったそうです。

うるう年のように、暦のずれから年によって立春が2月の4日だったり3日だったり5日だったりするそうです。
暦の上ではすでに春。

季節の変わり目、体調に気をつけてお過ごしください。



新型コロナウイルス対策のための自粛生活が長引く中で、一部の人たちによる「○○警察」と呼ばれる行動が散見されました。

今は、飛沫防止効果が弱いとされるウレタンマスクや布マスクをつけている人に物申す、「不織布マスク警察」が話題になっているようです。

未知のウイルスの対策のために、三密を避ける等の「かくあるべし」が示されるにともなって、それに沿わない行動を取る人に対して、注意を通り越して攻撃ともいえる行動に出る人まであらわれたことは残念なことです。



「正しさ」は、残念ながら古今東西、必ずしもよい行動、よい結果につながるとは限らないようです。

今も昔も、多くの争いは、それぞれの正しさが正しくない行為を通してぶつかり合うことで起きています。

はじまりの時点では確かに正しかったはずの理念や思想であっても、目の前の現実を正そうとする過程で正しいとは言えない行動を選んでしまう。

正義を通すためと言って、正しくない行動も正当化してしまうと、「正義のために」他者を攻撃したり、不正を働くといったことができてしまうのです。



人は誰も「自分は正しい」と思いたいものです。

自分が正しいことを認めさせるため、という大義名分は、そのために不正な手段を取ることも正当化させてしまう危険があります。

自分が正しいと思える時ほど、その正しさを通すための手段は慎重に選ぶ必要があるのです。

そうでなければ、自分の行動によって正しかったはずの理念や思想も損なってしまうかもしれません。



たとえ正しさを基にしていても「○○警察」が決して歓迎されず、時に傷害等の犯罪行為にまでエスカレートしてしまうように、正しいと思うことをする時ほど、どんな行動でそれを示すかが問われます。

他者や状況の間違いを正そうと強く思う時ほど、「正しさ」という大義名分を使って自分の行動を正当化してはいないか、何度も自分をふり返って確認してみてください。



自分の行動を正当化するためではなく、自分を律し正すための礎として、「正しさ」とつきあっていきたいですね。



かしこ

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