すこやかに伸びゆくための土壌

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



ゴールデンウィーク真ん中の平日も今日で終わり、明日からはゴールデンウィーク後半の四連休がはじまります。

連休中は、全国的に良いお天気が続く予報のようです。

お休みの方もお仕事の方も、ご無理のないように、よい初夏の日々となりますように。



ゴールデンウィークの祝日の最後はこどもの日です。

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する(Wikipediaより)」ことを趣旨として制定された祝日だそうです。

法律上の趣旨には母への感謝も加わっていますが、「こどもの日」ということからも、メインはやはりこどもにあるといっても過言ではないでしょう。

大人が「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」という意図を持つことは、こどものすこやかな成長に欠かせない土壌と言えるかもしれません。



自分自身がこどもだったとき、そして自分がこどもの成長を見守る大人側となってみて、あらためてこどもの周りにいる大人という存在のことをふり返ってみると、どんなことが思い出されるでしょうか。

私自身は、こどもだった自分の周りにいた大人たち、こどもの周りにいる大人となった自分、どちらをふり返ってみても、こどものすこやかな成長に資する土壌としての「大人」であれる人というのは、実はもしかして貴重な存在なのではと思わずにはいられないことが間々あります。

イギリスの小児精神科医だったウィニコットが「good enough mother(ほどよい母親)」と表現したように、こどもの要求に完璧に応えることのできる大人がこどもの成長にとって良い影響を与えるとは限りませんし、こどもの要求を無視してばかりの大人もこどもの成長に良い影響を与えるとは言えないでしょう。

周囲の大人との関係の中で、十分に安心していられる快適な環境と、個々のこどもの年齢や発達段階、能力等に応じたほどよい関心と助けが、こどもが安心して自身の成長に邁進するための大切な土壌を形作ります。



しかし、どれだけ良い家を建てても地震が起きれば揺らぐように、こどもの土壌としての大人が揺らいでしまうこともあります。

もちろん、親でも大人でも人間ですので、何事にもまったく揺らがないことはありません。

土台としている地面が時々多少揺れても家が崩れないことをよく知っていれば、安心や信頼が崩れることもありません。

ただ、多少揺れても大丈夫と思えないくらい、大人がぐらぐらと揺れてばかりいると、こどもも自身のすこやかな成長よりも、その土壌となる大人がどうしたら安定してくれるかに気を配らなくてはいけなくなるかもしれません。

こどもを取り巻く周囲の大人たちがまず心身ともに安定してすこやかであることが、こどもたちのすこやかな成長と幸福に最も資する、大切な要素なのです。



こどもに尽くしすぎず、放しすぎず、支配しようとせず、勝手な期待をせずに愛のある関心を向け続ける。

「ほどよく」あるということは、実際とても高度なバランス感覚を求められることです。

個々の大人が持つ課題が、こどもとの関係の中で表面化して、こどもに負担をかけてしまうことも珍しいことではありません。

物理的にも社会的にも弱い存在であるために、こどもは大人や大人社会が持つ歪みの影響をまともに受けてしまいがちです。

今は大人側となった人たちも、かつてこどもだった時、そうした影響にさらされて、その影響を今も引きずっていることもあるかもしれません。



こどもたちが物理的にも精神的にも自身の成長に安心して邁進できる土壌を提供できる「大人」であること。

ただ年を重ねるだけでは達成できない難しいことではありますが、「大人」として成長を続けていける人間でありたいものです。



かしこ

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