想像を超えた先にあるもの

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



先日の皆既月食と天王星食はご覧になられたでしょうか。

私はちょこちょこと外に出たり窓から見上げたりしながら見ていましたが、残念ながら肉眼では天王星食までは見えませんでした。

とはいえ、今回は皆既の時間も1時間以上と長く、とても見ごたえのある月食でした。



皆既月食の時、月からは地球によって太陽が隠れる皆既日食が見られるそうです。

太陽―地球―月が一直線に並び、月と太陽の間に地球が入るから当然のことではあるのですが、地球から月食を見ようという時に、月から見た場合のことに思い至る人は少数派のような気がします。

まだ月に行けるのは限られた人だけだからというのもあるかもしれません。



地球から皆既月食が見える時、月からは皆既日食が見えるという当然の事象も、「月から見た場合」に興味を持たない人にとっては思いもよらないことです。

地球に住む人間にとって、地球から見る視点は自分事ですが、月から見る視点はおそらくほとんどの人にとって一生のうちに経験することのないものです。

この「月から見る視点」のように、大多数の人には思いもよらないけれど誰かにとってのあたりまえだということが、もしかしたら星の数ほどあるのかもしれません。



どうしたって、人の視点はまず自分自身のいる場所が起点になります。

自分にかかわりのあること、自分が経験したこと、自分の人生に影響があり得ること等、思考や想像力はまず「自分」を起点として広がっていきます。

その範囲の外にある物事は、月から見える皆既日食のように、現実に確かに起こっている事象であっても、知らず、気づかず、思いもよらないまま過ぎていく。

月ほど遠い出来事ではなくても、どこか遠い別の国のことでも、同じ国の中でも、立場の異なる知らない誰かのことでも、もしかしたらごく身近にいる大切な人だって、自分の想像の範囲を超えた思いもよらない何かを抱えているかもしれません。



往々にして、誰しも自分の考えの及ぶ範囲を超えた想像は働きづらいものです。 

しかし、物事は自分の想像の範疇におさまらないかもしれないということを知っているだけで、現実の受け止め方や、自分事ではない物事への考え方が変わってくるかもしれません。

この世界は、自分が見たもの経験したものだけで構成されているわけではない。

どうしたって、一人の人間の経験や、思考や、想像の及ぶ範囲は、この世界のごく一部でしかありません。



「自分」起点の視点だけでいると、知らないこと、見ていないこと、経験していないことを「ない」ものと無意識に扱ってしまうこともあり得ます。

自分の知っていること、自分の想像の及ぶ範囲がすべてではないと知ることが、その先を知りたいという気持ちや、「自分」視点の外への想像力へとつながるのかもしれません。



かしこ

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