シュレーディンガーの猫 掌の中の小鳥

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



新しい年の初めというのは、どんな一年になるのか、どんな一年にしていこうか、思いを巡らせることもめずらしくないと思います。

おみくじや占いで一年の運勢を確認したり、今年の目標を立てたり、新しい一年をどんな風に過ごしたいか、過ごせる可能性があるのかをこのお正月に考えた方もいらっしゃると思います。



「年」や「年度」等は、社会的に決められた区切りでしかありませんが、暦の切り替わりという以上に、「可能性」を感じさせてくれます。

切り替わり、つまり、ある区切りが終わり新しい区切りがはじまったということは、まだ確定していない未来が広がっているということだからです。



「未来」は、「現在」になるまでは常にあらゆる可能性をはらんでいます。

シュレーディンガーの猫、掌の中の小鳥。

シュレーディンガーの猫は有名な思考実験ですが、「掌の中の小鳥」は加納朋子著の小説です。
小説の中で登場人物が話す逸話がそのまま小説のタイトルになっています。



「〈中略〉こんな話を知ってるかい?昔、あるところにとても偉い賢者がいたんだ。その賢者にはわからないことは何ひとつなくて、人々から深い尊敬を集めていた。ところがある日、一人の子供が言い出した。『僕は、あの賢者が絶対解けない問題を思いついたぞ』って」

「その問題って?」

〈中略〉

「手の中に一羽の小鳥を隠し持っていって、賢者にこう言うんだ。『手の中の小鳥は生きているか、死んでいるか?』って。もし賢者が『生きている』と答えれば、子供は小鳥を握り潰す。『死んでいる』と答えれば、小鳥は次の瞬間には空高く舞い上がるってわけさ」

〈中略〉

「ねえ、賢者はなんて答えたの?」

〈中略〉

「〈中略〉彼はこう言ったんだ。『幼き者よ。答えは汝の手の中にある』ってね」

(加納朋子著「掌の中の小鳥」より)



箱の中で生きていると死んでいるが重なった状態の猫も、子どもの手の中にいる小鳥も、まだ確定していない矛盾した可能性が同居している状態を表しています。

私たちがさまざまな思いをはせる未来もまた、複数の矛盾した可能性が、「まだ」どれか一つに確定することなく同居している状態です。



私たちは、箱に猫を入れる側や小鳥を手に握る側である時もあれば、状況次第で箱に入れられる猫や子供に握られた小鳥の側になってしまうことも、そうした状況を頭の中で実験する立場になることもあるでしょう。

「可能性」は、把握できる範囲の内にも外にもあるのです。

子供が思いついた絶対解けない問題に、子供の予測した可能性の外にある答えを返した賢者のように。



昨年も、まさか未知のウイルスの流行によって生活のあり様が一変してしまう可能性を年始の時点で思い描いた人はきっとほとんどいなかったことでしょう。

予測できる範囲の内にも外にも可能性は広がっていますが、実際に「その時」に選べる選択肢はそれほど多くはなく、限られているものかもしれません。



『幼き者よ。答えは汝の手の中にある』



願わくば、より望ましい可能性を現実にしていくことができるように、新しい一年を過ごしていきたいですね。

本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。



かしこ

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