四つ葉のクローバー/ラッキーライラックの法則

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



春になり、いろんな花が盛りを迎えています。

我が家でもいろいろな花が次々と咲いていて、今日のブログにはライラックの写真をのせました。



ライラックはモクセイ科の花で、同じモクセイ科のキンモクセイも香りがいいことで有名ですが、ライラックもとてもいい香りがします。

通常4枚の花弁ものが多いのですが、時折見られる5枚の花弁のものを西洋では「ラッキーライラック」と呼ぶそうです。

そして、写真をよく見ていただくとお気づきになるかと思いますが、今回のせた写真にはこの「ラッキーライラック」が映っています。



この花が「ライラック」であると知る前は、きっとただの薄ピンクもしくは薄紫の花の写真だったかと思います。

そして、ラッキーライラックのことを知るまで、映ってる花弁の数が一つひとつ違うことにまでわざわざ注意を払わなかったのではないでしょうか。

同じ写真を見ていても、知っている人と知らない人、同じ人でも気づいているのと気づいていないのとでは、そこから受け取っている情報はまったく異なっているのです。



緑の雑草があふれる中に、幸運の象徴である「四つ葉のクローバー」があるかもしれない。

たくさんの小さな花の中に「ラッキーライラック」があるかもしれない。



「四つ葉のクローバー」や「ラッキーライラック」は、そのままでは特別な意味のない雑多な物事の中に、「よいもの」を見つけるアンテナとなってくれます。

四つ葉のクローバーもラッキーライラックも、厳然とそこに存在していても、それを見つけるアンテナのない人には「ないもの」に、アンテナを立てて見つけようとしている人には「あるもの」として目にとまるのです。

そして同時に、「ある」ことには気づいても、葉っぱが4枚のクローバーや、5枚の花弁のライラックに「幸運」の意味づけをしない人にとっては、それはやっぱりただのクローバー(もしくは葉っぱ)であり、ただのライラック(もしくは花)なのです。



同じように、そのままでは日常のひとコマとして流れていってしまうさまざまな出来事の中から、自分にとって「よいもの」「よいこと」「ラッキーなこと」「ハッピーなこと」等にアンテナを立てていると、自分にポジティブな影響を与えてくれる出来事を「あるもの」として認識できるようになります。

いつも同じようなルーティンの毎日でも、体調が思わしくなかったり、機嫌が悪い時には、いつもは気にならないささいなことが余計に気に障ってイライラしたり、逆に機嫌がいい時には、信号にひっかからなかったとか、乗り換えがうまくいったというようなちょっとしたこともついてるように感じられたりします。

同じ出来事でも、それを受け止める自分のアンテナがどこに向いているか、どんな意味づけをするかで、いいことにも、悪いことにも、何でもないことにもなり得るのです。



四つ葉のクローバーもラッキーライラックも、ただ漫然と景色を眺めるよりは、あると思って探した方が見つかる確率は上がるでしょう。

日々の出来事の中に「よいこと」がどれだけあるか、意識して探してみてください。

最初はあまりないように感じられるかもしれませんが、四つ葉のクローバーやラッキーライラック探しと同じように、慣れると思った以上に見つかるかもしれません。



かしこ

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