無意識の囲い

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



年末から家族が順番に違う感染症にかかっています。

今冬は新型コロナウイルスやインフルエンザだけでなく、いろいろな感染症が流行っているとニュースになっていましたが、身をもって実感しているところです。

私自身も、アレルギー由来なのか風邪なのか判別のつかない鼻水、咳と痰が一時期ひどくなりましたが、どうにかそれ以上悪化させずにじりじり踏みとどまっています。

雑節も冬土用に入り、春先のようなあたたかい日があったかと思えば、真冬の寒さに逆戻りする等、体調管理の難しい季節の変わり目がはじまっています。

どうぞ心身を大切にお過ごしください。



そんなこんなで、年末年始からずっとばたばたしていて、新年の抱負や願いごとを考えるどころでないまま、1月もすっかり下旬になってしまいました。

それでも、年初と思うと、今年はこんな風に過ごしたいなとか、こんな一年になったらいいな、ということは折々に思い浮かびます。



過去のブログでも、人は意識が向いた方に進んでいくという話をしたことがあります。

自分が何を望むのか、どんな風に在りたい、生きたいのかを知っているということは、意識のアンテナが自分の望みの方角に向いているということです。

一方で、前々回のブログ記事でも取り上げましたが、人は必ずしも自分の本当に望んでいることを頭でも分かっているとは限りません。

目標、願いごと、望みと考えて思い浮かんだものは、往々にして頭で考えた、意識できる範囲にあるものです。

NLPのディズニー・ストラテジーでもあえて夢を描く場所と現実的なことを考える場所を分けているように、人の普段の思考には、自分でも気づかないうちに現実的な制約が前提条件として折り込まれています。

自分でも知らずしらず、現実の枠内で物事を考えてしまうのです。

たとえば、常識やルール、自分の能力や環境等の限界、「そういうものだ」という思い込み等が、「ある/ない」「できる/できない」「すべき/すべきでない」といった形で自分の中で前提条件として枠を決めてしまっていることがあるのです。



それらは、自分にとっては「そうである」ことが当たり前なので、特別きっかけがなければ、自分の「望み」や「願い」に制限がかかっていると思うこともありません。

私自身、折々に思い浮かぶ「こうだったらいいな」「こんな風に過ごしたいな」というような望みは、本当に自分が望むところだと感じています。

しかし、もし、現実にあるあらゆる制約、あらゆる困難、あらゆる障害や弊害がすべてなかったとしたら、私は同じ望みを持つのだろうかと、先日ふと思ってしまったのです。

もし、無意識にかけてしまっている現実的な制約を、囲いを、すべて取り払うことができたとしたら、あなたは何を望むのでしょうか。



制限がないから望めるものと、制限があるから望めるもの。

当然、どちらだからいいとか、どちらだから悪いということもありません。

人として生きていく上で、まったく何の制限もない状況というのは、おそらくないでしょう。

そして、自分にとって望ましい過ごし方、生き方をどう実現していくかは、誰にとっても簡単なことではありません。



「もしあらゆる制限がなかったとしたら、自分は何を望むだろう」



その視点があるかないかで、たどり着く場所は、もしかしたら変わるのかもしれません。



かしこ

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