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「はじめに言葉ありき」
このフレーズを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
キリスト教にゆかりのある人は、特によくご存知かと思います。
これは、新約聖書の中のヨハネによる福音書のはじまりのフレーズです。
現在では改訂されて「はじめに言があった」という訳文に変わっています。
(個人的には、新しい訳文の方が耳になじんでいます。)
旧約聖書の冒頭、神が天地を創造される創世記で、神は言葉によって万物のすべてを創造していきます。
神の「光あれ」という言葉で混沌の中に光が現れたという話は、特にキリスト教の信者ではない人でも何かで触れたことがあるのではないでしょうか。
キリスト教の世界では、「言葉」は非常に重要なものとして描かれています。
日本でも、古くから「言霊」という概念があったように、言葉は非常に重要なものとされてきました。
洋の東西を問わず、現在では薄れてしまった感覚かもしれません。
天地を創造した神ではありませんが、人は、そしておそらく人種や生まれ、育ちにかかわらず、すべての人は「言葉」を使います。
文字を持たない文化の民族も口語を持ちますし、耳が聞こえなくても文字や手話によって言葉を習得します。
例えば狼に育てられた人間の子どもも、他の人間と疎通することはできなくとも、その子にだけ分かる(そして、もしかしたら育ててくれた狼とは疎通することのできる)言葉を持っていたでしょう。
神のように天地を創造することはできませんが、人の使う言葉はその人の世界を形作るからです。
安全かそうでないかを判別する、食べれるか食べれないかを判別する、生きていくために、自分を取り巻く世界にあるあらゆる事物を人は分類し、区別します。
そのためには、りんごが毒の実ではないことを、あの狼がこの狼とは違って危険なことを、AがBではないことを区別しなければなりません。
そのためには、Aに「A」・Bに「B」というラベルをつけなければなりません。
ラベルは「言葉」です。
一人ひとりが使う言葉は、その人の持つ内的な世界の一片を表す言の葉たちです。
わたしの使うどんな言葉も、わたしの世界を代表するものであり、あなたの使うどんな言葉も、あなたの世界を代表するものです。
言葉とは他者とコミュニケーションを取るためのツールであると感じる方が多いかもしれませんが、実際には他者とのコミュニケーションツールである以前にそもそも自分の世界を構築するためのツールであると言えます。
Aに「おいしい」「かわいい」「好き」というインデックスをつける人と、Aに「すっぱい」「かたい」「嫌い」というインデックスをつける人では、同じAに対して違う世界を持っています。
ただ「A」と言った時には何かを代表する記号でしかないものが、「りんご」と言うと想起されるイメージは変わります。
りんごを好きな人、りんごが嫌いな人、りんごに対して特別な思い入れのない人、同じ「りんご」というラベルにも、違うものが込められているでしょう。
それを人の名前や事象に置き換えてみても同じことが当てはまります。
あなたの世界はあなたの言葉によって表されます。
自分が日頃何についてどんな言葉を使っているのか。
自分でも気づかないうちに選んでいる言葉、表現によって、周りの人はあなたの世界がどのようなものであるかを知ります。
自分の周りにいる人たちが、何についてどんな言葉を使っているのか、それによってあなたは周りの人たちはがそれぞれどんな世界を持っているのかを知るでしょう。
「あなたのために言ってるのよ」
「君のためにもなることじゃないかな」
「どうせわたしなんか」
「彼はこういう人間だから」 etc…
あなたは日頃どんな言葉を使っているでしょうか?
ごくごく小さな頃、まだ言葉を覚える前に、自分が世界をどのように認識していたのか、思い出せる人はいるでしょうか?
人は、呼吸をするのと同じくらい当たり前に日々言葉を使っています。
そして、人の使う言葉はその人の世界を形作ります。
生まれてから言葉を覚えはじめるその瞬間まで、人は誰でも天地創造した時の神と同じような体験をしているのかもしれません。
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