【わたしとであう】まとまりを分解する

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



【わたしとであう】シリーズ、前回はまず今の自分が把握している自分像を明確にするため、自分に関するさまざまな情報を書き出すワークをご紹介しました。

今、自分は自分のことをどんな風に捉えているのか、見えてきたものがあったでしょうか。

自分像を、属性、特性、特徴、性格等、さまざまな側面について思いつくままに書き出してみると、「自分」という一個の人間がどれほど多くの側面を有しているのかとハッとされた方もいらっしゃるかもしれません。

普段はそうした側面の一つひとつを明確に認識することなく、それらがなんとなくまとまった個としての自分イメージをぼんやりと持たれていたのではないかと思います。

「自分像」「自分イメージ」に限らず、人はあらゆる物事について、「全体として」「なんとなく」捉えて把握しています。

自分について書き出すワークと同じように、対象の側面一つひとつに焦点を当てれば詳細についても当然ある程度把握しているものですが、焦点を絞ることをしなければ、そうした詳細はぼんやりとして、なんとなく全体として捉えた対象像として認識されています。



瞬間瞬間の体験についても、多くの場合、たくさんの側面、たくさんの情報をまとめた一体験として記憶されています。

特別記憶力のいい方でもない限り、わざわざ登場人物や状況、場所、自分の感覚、感情、思考等を明確に分けずに、印象の強い情報や特徴だけをハイライトしたような思い出、記憶として認識されているのではないでしょうか。

「自分像」「自分イメージ」と同じように、まるごとで認識している体験の一つひとつについて、その詳細を明確にしていくことは、自分がどんな風にこの世界を、この人生を体験しているのかを知るために欠かすことはできません。

体験者である自分は、自分がこの世界をどんな風に捉えているのか、この人生をどんな風に捉えているのか、当然よく知っていると感じられるかもしれません。

しかし、その時の自分の思考、判断、感情、感覚等もすべていっしょくたに一つの「体験」として記憶されます。

そして、思考も感情も感覚もとても流動的なものなので、その時自分が何を感じ、何を考えたのか、正確なところを後から思い出そうとしても難しいことも少なくありません。

それくらい、特別気にすることがなければ、「なんとなく」「こんなかんじ」の人生を生き、「なんとなく」「こんなかんじ」と世界を受け止めているのです。



体験に含まれる自分の思考、判断、感情、感覚は、今の自分が持っている物事に対する認識、価値観、信念等が反映されています。

一瞬一瞬の体験の中で、自分の思考、判断、感情、感覚を区別し、自分がどう感じ、何を考えているのか気づけるようになると、自分自身への理解が深まります。

自分の心がどんな前提、どんな価値観、どんな信念に基づいて、どんな風に動くのかが分かるようになってくるのです。



まずは日常の中で、今の思考、今の感覚、今の感情にアンテナを張って、気にかけてみるようにしてみてください。

今心に浮かんだ言葉はただの思考なのか、感情を含んでいるのか。

感情が含まれるとしたら、どんな感情なのか。

その時、自分の身体はどんな感覚を感じていたのか。

自分の心の動きを観察する癖をつけてみましょう。



「思考」は、「〜と思う」「〜と考える」等と表現できる内容で、どちらかというと体験についての事実を描写するだけの内容が該当します。

思考と似ているのが「判断」で、「〜だ」「〜ではない」と良し悪しやそれがどういったものであるかを断定し、評価する内容のものが該当します。

思考にはあまり感情的な色づけや温度感がなく、さらっと乾いて淡々としている印象ですが、判断には感情的な要素が含まれることもあります。

「感情」は、「うれしい」「楽しい」「怒り」「かなしい」「さみしい」「不安」「心配」等といった、心に動/静、軽/重、明/暗、快/不快といった、時に強く明確なインパクトをもたらす心の状態の表現が該当します。

強い感情は、特別意識をしなくても、体験の中の重要な要素として記憶に残りやすいでしょう。

「感覚」は、体験を構成する最も基本的な要素ですが、そのために明確に自覚されることはあまりないかもしれません。

人はあらゆる体験を五感を通じて体感していて、体験の最中で感じる五感の感覚についての描写が感覚に相当します。

感情を体験する時は、必ずその感情と連関する五感の感覚も感じています。

人によってどんな連関があるかは異なりますが、たとえば不安な時は胸のあたりがぐーっと重苦しい、鉄球を飲み込んだような感じがしたり、怒っている時は頭の方がカッと熱くなってお腹のあたりがざわざわしたりといったように、体験している際に身体で感じているものが感覚に当たります。



これらは特別意識して区別しなければ、いっしょくたに一つの体験として処理されてしまいます。

しかし、ある体験について、「思考」「判断」「感情」「感覚」を別々に取り上げることができるようになると、その体験の最中に自分の心がどんな風に動いていたのかが見えるようになってくるのです。

なんとなくムカついたとか、なんとなく不安で嫌な体験だったものが、その体験でどうして自分がそう感じたのか徐々に見えてくるようになります。

自分が本当には何を思い、何を感じているのか、なんとなくのまとまりではない「本当のところ」へたどり着くための糸口となります。



最初は少し難しいかもしれませんが、日々の体験の中から自分の「思考」「判断」「感情」「感覚」を区別して取り上げることができるように、意識のアンテナの感度を上げて注目してみてください。

思考の流れ、感情の動き、感じているもの、ご自身の心がどんな風に動いていくのか、観察してみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました