
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
今年のはじめにデスクチェアを、先日はデスクチェアに乗せていたクッションを新調しました。
どちらも、今まで使っていたものと同じものを新しく購入したのですが、新しいものを使うまで、これまで使っていたものが新品に比べてこれほどへたっていたことに気づきもしませんでした。
デスクチェアの座面も、クッションも、最初はこんなにふかふかと厚みがあったのかと、取り替えてすぐに驚いたものです。
毎日使い続けているものは、年月とともに少しずつ劣化が進んでいても、変化に気づかず、「今」の状態があたりまえになっているので、明らかな不具合や不調が出てこない限り、特に問題を感じることなくそのまま使い続けてしまっても、それほど珍しいことではありません。
たとえ何かしらの不具合や不調に気づいても、それが使用にあまり差し支えないくらいのものであれば、使えなくなるまで使うこともあるでしょう。
「物」だけでなく、もしかしたら身の回りにある「すべて」の物事について、「現状のまま変わらない」というような期待や前提を、人は無意識に持ちやすいのかもしれません。
心理学の分野では、「現状維持バイアス」と呼ばれる認知バイアスがあることが知られています。
「現状維持バイアス」とは、現状が変わることで後悔するかもしれないという予想が、積極的に現状を変える選択を回避し、現状を維持しようとしてしまう傾向のことで、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏り、思い込み)の一つとされています。
無意識のうちに、なんとなく、今のままでいいかと思う、小さなことでも変化を取り入れることを面倒に感じる、といったことは、身に覚えがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
たとえば、物を新調するにも、値段や使い勝手等を考えて比較検討して購入し、必要があれば入手後に使える状態にするために組み立て、これまで使っていたものと入れ替え、古い方は、処分ができるまで保管場所を確保し、行政の分類にしたがって処分する、といった具合に、それなりの手間がかかるものです。
新調することで得られるかもしれないメリットよりも、新調することでかかる負担を考えると面倒になり、とりあえず大きな不便があるわけでもないからと「今のまま」を続ける。
事の大小はあれど、消極的に現状維持を選んでしまう場面というのは、自分で自覚しているよりずっと多いのかもしれません。
変えることで得られるものは、事前にどんなに予想し、想像してみたとしても、実際に変えてみなければ知ることのできない、気づくことのできない、新しい体験を内包しています。
慣れ親しんだ「現状」の、安心感や面倒のなさを選んでいたら知ることのないもの、体験することのないもの。
日常生活に密接に関係する物一つを変えただけでも、変えた瞬間から体験する日常はこれまでと違うものになる。
「現状のまま」を選んでいるようで、実際にはすべてのものは変化し続けています。
問題なく使い続けていたデスクチェアやクッションが、実はすごくへたってしまっていたように、「同じ」に見え続けていたものが、ずっと変わらず「同じ」であるわけではありません。
自分と、自分をとりまくあらゆる物事、「現状のまま」を期待して、「そう」だと思っていることが、本当に「そう」なのか。
自分の無意識のバイアスから、勝手に「同じ」であると期待して、思っているだけではないのか。
何を選んでも、すべては変わっていく。
無意識のバイアスに流されたのではない選択肢は、自分にどんな体験をもたらしてくれるのか。
選んだ後の自分にしか、知ることのない体験です。
あらあらかしこ
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