こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
9月も半ばになり、だいぶ空気が秋めいてきました。
最近NLPを受講した時のノートを見返しているのですが、ノートを見たら受講したのがちょうど十年前だったことに気がつきました。
月日が経つのはあっという間です。
さいわいなことに、当時比較的丁寧にメモを残したこともあって、さまざまなワークをして思ったこと、感じたことをいろいろと書き留めてありました。
見返してくすぐったい心地になるのも、当時の先生や一緒に受講した方たちからのプレゼントのようです。
NLPはイメージの力を活用するスキルがたくさんあるのですが、実は当時も今も、私はイメージすることが苦手です。
情景がありありと浮かぶように、周囲の音が聞こえるかのように、温度や湿度まで感じられるように、五感の感覚で受けとるものまで詳細にイメージするのが肝要なのですが、なかなか「今まさに感じているかのように」イメージすることができません。
私は、ディソシエイトは得意だったのですが、アソシエイトは苦手だったので、そのせいもあるかもしれません。
ディソシエイトとアソシエイトはどちらもNLPの用語で、ディソシエイトは物事を自分とは分離して客観的に認識すること、アソシエイトは物事を主観的に認識することです。
NLPのさまざまなワークを通して、同じ現実を共有しているように感じていても、一人ひとりまったく違う風に受け止めて、違う世界を生きているということを実感したものです。
十年経ち、今の自分と十年前の自分もまた違うということも、ノートを見返していて感じました。
十年経てば変わるのは当然と思われるかもしれませんが、不思議と時間の経過に伴う自分自身の変化というのは、普段はあまり意識されないものです。
頭の中では過去の自分も今の自分も連綿とつながる一個の「自分」として認識されるからです。
そのアイデンティティ感覚があるからこそ、混乱することなく日々を過ごすことができる一方で、日々微細な変化が積み重なっていることに気づかずに過ごしてしまうことも珍しくありません。
過去の自分の積み重ねてきたものによって今の自分がありますが、過去から今へ自分がどんな風に変わってきたのかに気づいていないということは、「今」の自分も正確に捉えられてはいないということでもあります。
身体的にも、精神的にも、環境的にも、年月とともに変わらないものはありません。
子どもの頃の自分、十年前の自分、去年の自分、半年前の自分…。
過去の自分が残したものと、今の自分が感じているものを比較することで、時間の流れと積み重ねた経験の上に「自分」をあらためて捉え直すことができるのでしょう。
ずっと同じ自分であるようで、少しずつ変化しつづけている自分。
あらためて、NLPのいくつかのワークを自分でも定期的にやりたくなりました。
もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせください。
かしこ
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