こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
今日は春分の日、春のお彼岸の中日です。
お彼岸の間に、お墓参りに行かれたり、ぼたもちを食べるという方もいらっしゃるかもしれません。
日本では、お彼岸と言えば先祖供養の印象が強いですが、海外の仏教圏では、悟りを開く修行をする期間とされているそうです。
日本のお彼岸も修行期間であることに変わりはないようですが、日本ではやはり、修行のためというよりは、お墓参りに行く時期というのが一般的なイメージではないでしょうか。
Wikipediaによると、彼岸とは「サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する」とされています。
昼と夜の長さが同じになる、春分と秋分には、極楽浄土の彼岸との距離が近くなると考えられたことから、極楽へ近づくための修行や、先祖供養をする風習ができたとされているそうです。
苦難あふれるこの世(此岸)から、悟りの世界であるあの世(彼岸)へ。
つらいこと、苦しいこと、難しいこと、大変なこと。
生きていると、さまざまな艱苦に遭い、それらから抜け出すこと、救われることを、きっと今も昔も多くの人が願っていることでしょう。
ずっと昔から今に至るまで、数多くの宗教が生まれ、存在し、良し悪しはありながらも、多くの人の生きる支えとなっていることからも、「生きる」ことを一人耐えることがどれほど難しいかということがうかがえます。
身体があり、感覚があり、感情があり、心がある。
此岸にあり、此岸に生きながら、彼の岸と此の岸を分けるものは、実は己の心の中にしかないと知ること。
お彼岸の間に特別にするまでもなく、誰にとっても人生とは修行のようなものなのでしょう。
此岸から、彼岸へ。
「いずれ訪れるその日に、私は何を思うだろうか」
今日は、そんなことを考えるには、ふさわしい日かもしれません。
あらあらかしこ
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