自分を一番見てるのは自分じゃない

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



四連休はいかがお過ごしでしたでしょうか?

台風は当初の予報より東側の海上をいく進路にはなりましたが、お気をつけてお過ごしください。



「百聞は一見にしかず」ということわざや、英語の"I see."という言い回しが端的に示すように、「見ること」は他の五感の感覚よりも「理解すること」につながりやすい感覚のようです。

他の感覚に比べて、視覚は一度により多くの情報を得られるからかもしれません。

視覚をはじめとした感覚器官で受け取った情報をもとに、人はあらゆるものを認識しています。



しかし、人は鏡を使わなければ、自分の目で自分を見ることはありません。

人よりよく鏡を見るという人であっても、多くの人は自分の目に自分以外のものを映す時間の方が長いのではないでしょうか。

おそらく、自然に過ごしているいつもの自分の姿を自分の目で見るには、写真や録画した映像などを通してしか触れる機会がないように思います。

カメラがカメラ自身を撮ることはできないように、人体の構造上、道具を用いなければ人は自分自身をその目に映すことはできません。



そんなことは自明のことと思われるかもしれませんが、人は不思議と、自分の目ではほとんど見れていない自分自身のことをよく理解しているようにも感じているようです。

それはもちろん、外からは見えない自分の感覚や感情、思考を把握している(と感じている)ので、そう思うのは当然のことかもしれません。

しかし、意識で扱える情報量には限りがあるため、どんなに把握していると感じられたとしても、自分のことでさえ実際には部分的にしか理解することはできません。

意識の光からもれたさまざまな側面は、姿勢や態度、行動といった動きの中ににじみ出てきますが、それを自分で直接見ることはできないのです。

自分の態度や行動を一番よく見ているのは、自分の周りにいる身近な人たちです。



自分で思う自分のイメージと、人から言われる「あなたってこういう人」というイメージは、ずれていると感じられることがあるのではないかと思います。

他者から見たイメージが、必ずしもバイアスの含まれない見たままのイメージとは限りませんが、自分には見えていない自分の一面をとらえていることも少なくありません。

当支援室で開催したセミナーやワークショップでも、他の参加者の方の視点から新しい自分の一面に気づかれる体験をされた方も多くいらっしゃいました。



他者が自分をどう見てるのか、どう思っているのか。

それにとらわれすぎると自分の軸がぶれてしまいますが、他者から見た視点は、自分では見えていない側面を気づかせてくれる可能性を少なからず持つものです。

誰にとっての「自分」も、内側を見つめる自身の目と、外から自分を見てくれる目の両方があってはじめて、より輪郭が鮮明になるものかもしれません。



かしこ

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