自分のための節制(ⅩⅣ)

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



7月も下旬に入り、学生の方は待望の夏休みがはじまりましたね。

毎日非常に厳しい暑さが続き、新型コロナウイルスもまた新たな変異株によって流行が広がっているそうです。

どうぞ体調第一、安全第一で、よい夏をお過ごしください。



大人になると、学生の時までのまとまった長期のお休みがうらやましく懐かしく感じられるという方もいらっしゃるかもしれません。

月単位の自由な時間というのは、社会生活を中心にしていると、日本ではなかなか持てない機会です。

大人であれ子どもであれ、おそらく多くの人は、社会生活を営む上で必要とされる時間的な縛りに準じて生活をしています。

たとえば、一日という時間をどう過ごすのか、その大枠は、会社や学校、さまざまな施設の営業時間等の外的な制限に合わせて決めること、決められてしまうことに慣れています。

そう考えると、自分の一生のうち、どのくらいの時間を本当に自分のために使っているのだろうと思えてきますが、それを考えたら「普通の」社会生活は続けられなくなってしまいそうです…(笑)

「定年うつ」や「退職うつ」という言葉も聞かれるようになりましたが、生きるために何をすればいいのか、人生という時間を何に費やせばいいのか、そうした目的や理由を外側から与えられることに慣れきってしまうと、何をしてもいい、何に費やしてもいい時間が途方もないもののように感じられてしまうのかもしれません。



本来、人生という限りある時間は、その人の意志で体験したいことのために費やしていい時間です。

現代の社会生活に適応して生きるために制約はあっても、たとえば世捨人を選んでそうした制約から無縁で生きる選択もできないわけではありません。

いずれにしても、どの大変さを選んで生きるかという自分の選択ではありますが、外側の価値基準や制約に選択の根拠を依り続けてしまうと、自分の意志だけに基づいて選ぶということがとても心許なく感じることもあるかもしれません。

夏休みという長いお休みになると、子どもの自律がテーマに上がることも少なくないですが、子どもであろうと大人であろうと、人生という自分のための時間をどう自分自身を律して過ごすかということは、とても大切で大きなテーマであると言えるでしょう。



現在の「一般的な」社会に属した生活をする上で、自分のための時間を持つことそのものが難しいと感じられるかもしれませんが、今制約の多い生活をしていたとしても、同じ生活が一生続くわけではありません。

もし突然、人生に子どもの頃の夏休みのような、何をしてもしなくてもいい時間がぽんと現れたとしても、その時間に途方に暮れてしまうのではなく自分自身のために大切に過ごせるように、一日のうちに可能な範囲で、自分のためだけに過ごす時間というのを作ってみてください。

たとえほんの数分でも、この時間だけはと決めた間は、自分の心に何をしたいかを聞いて、したいように過ごすのです。

時間の制約があってたいしたことはできないかもしれませんし、時間の制約があって途中でやめるしかないと分かっていてもやりたいことを思いつくかもしれません。

最初は何をやりたいかと自問しているだけで時間が過ぎてしまうこともあるかもしれません。

それでも、一日のうちに今自分が何をやりたいのか、何を求めているのかと考え、そしてできる限りそれを叶えようと行動する時間を作ること、それを可能な限り毎日続けることが大切なのです。

続けているうちに、自分のために時間をやりくりするうまい方法を思いつくかもしれません。

思い切って身近な人たちに相談してみたら、自分時間の確保に意外と協力してくれるかもしれません。

いつまでたっても少しの時間しか確保できなかったとしても、自分の意思で、自分のためだけに、自分の時間を使うという体験を重ねることはできます。

それは、自分の人生を生きている感覚につながる大切で必要な体験です。



長いようで、人生は短く、外側の基準に合わせることばかりに費やしていると、自分を見失ったままゴールテープを越えてしまうかもしれません。

外側の世界とのバランスを取りながら、自分の心の声と想いをすくい上げて、人生の中に自分のための時間を少しでも増やしてあげてください。



かしこ

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