
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
3月も半ばに入り、いよいよ桜の季節がはじまりそうです。
東京では、来週にも満開になる予想のようです。
スギ花粉もピークを迎えていますが、体調を整えて、桜の季節を楽しみたいですね。
大小さまざまな変化の多い春。
気候的、季節的な変化も、社会的な変化も、主に外からもたらされる変化であることが多いのではないでしょうか。
自分が望む、望まないにかかわらず、変わっていくから、対処し、適応していくしかない変化。
そうした変化は、意識できるできないにかかわらず、心身に負荷がかかるものです。
春になってから、ずっと忙しない気持ちでいたり、疲れがとれないようなだるさを感じていたり、小さなこともやる気をふりしぼるようにして動いている、という方も、もしかしたら少なくないかもしれません。
春になって、外から降りかかるさまざまな出来事、変化に、がんばって対処している、もしくは対処してきたために、自覚のあるなしにかかわらず、自分の心身のケアが後回しになって、落ち着かない、疲れがとれない、だるい、やる気がわかない、という状態になってしまっているかもしれません。
同じ労力を要することでも、「やりたくてやる」ことと、「仕方なくやる」や「やらなければならないからやる」こととでは、心の負担が大きく異なるのです。
たとえ同じ金額、同じ時間、同じ食事内容だったとしても、会いたいと思う人たちと集まって過ごす食事会と、仕事や何かしらの会の集まり等で仕方なく参加する食事会や飲み会では、気の乗り方が違うでしょう。
たとえ気の置けない友人と会うとなっても、もしひどく疲れていたりすれば、億劫に感じてしまうこともあるでしょう。
「仕方ない」、「ねばならない」と言って何かを選ぶ時、そこには必ず、違う選択をしたいと望む自分自身がいます。
自分が本当に望むことに背く選択をする時、心は大きな負荷を感じるのです。
「気が乗らない」「だるい」「億劫」といった状態は、「今の自分は、自分が本当に望むことを蔑ろにしているよ」ということを知らせる、アラートでもあるということです。
試しに、ここ最近をふり返ってみて、「気が乗らない」「だるい」「億劫」「嫌だ」「仕方ない」「やらなきゃ」と思いながらやったことがないか、思い返してみてください。
もし思いついたことがあれば、少なくともその数の分だけ、心身に負荷を感じながらがんばったということです。
そして、その数の分だけ、自分を抑えつけた、ということでもあります。
「やらなければならないこと」「仕方のないこと」、たった一日の中にも、どれほどそうしたことがあることでしょう。
現実的な問題として、「やりたくないからやらない」では済まないことも、いくつもあるでしょう。
それでも、自分が本当に望むことを抑えて、心身に負担を感じながら、自分でそれを選んだということを、自分が知っている、ということが、小さいことのようで、とても大切なことなのです。
たとえば、「気の乗らない仕事の飲み会に付き合いで参加した」という時も、「しょうがないけど参加するしかない」と思っている時、自分の中には「参加する」以外の選択肢が浮上することはありません。
この時、「自分は「参加する」を選んだけれど、「気が乗らない」「しょうがない」と思った自分がいるということは、私は本当は参加したくなかったんだな」と、本当の気持ちの部分を捉えることができると、「参加する」という選択肢以外に、「参加しない」という選択肢が意識に浮かび上がってきます。
もちろん、選択肢があったとしても、実際に「本当の気持ち」の方を選べるとは限りません。
参加するのが当たり前という風土があると、立場が悪くなるかもしれないと思うかもしれませんし、そうでなくても、いつも参加しなくて付き合いが悪いと思われたり、周りの人との人間関係が深まらず、さみしい思いをするかもしれないと思うかもしれません。
それでも、「参加する」を選んだ自分が、どういう気持ちで、どういう思いをもって選んだのか、自分が知っていることで、自分の負荷をケアすることも、今後自分の本当に望む方に近づいていくことも、できるようになるからです。
自分が本当に望むことに背いたことを自分自身に謝り、心身に負担を感じながらがんばった自分を労い、今後自分が本当に望む選択をするために何ができるのかを、考えることができるようになります。
「仕方なかった」「選ばされた」と、被害者のポジションに自分を当てはめてしまっては、決して現れることのない分岐です。
意識では捉えられなくても、無意識はいつも自分の「本当のところ」を知っています。
無意識が知っているということは、「本当のところ」から外れた時、身体の痛みや違和感、ネガティブな感情や状態といった形で、アラートが発されているものです。
アラートの多くが不快だったり、向き合いたくないものだったりして、無視したり、見て見ぬふりをしてしまうのです。
自分で自分の「本当のところ」に気づいて、拾い上げない限り、どれだけ自分を被害者のポジションに置いていても、誰もあなたの「本当のところ」に気づいて、拾い上げてくれることはありません。
他者は、外に表れたあなたしか、受け取りようがないからです。
この春、変化にさらされ続けて、やる気がなくなったり、だるさが取れないと感じていたら、自分の「本当のところ」に目を向けてみてください。
「仕方ない」「ねばならない」の縛りをきつくして、自分を絞め続けているのは、自分自身かもしれません。
あらあらかしこ
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