自分では見えない自分

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



全国的に緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除されてから約半月がたちました。

さいわい新型コロナウイルスの新規感染者数は落ち着いていますが、冬に向けて感染対策をおこたることなく気をつけて過ごしたいですね。



東京では30度に迫る残暑から、数日後には20度を下回る涼しさになる等、体調管理の難しい日が続いています。

毎日の服選びに苦慮されている方も少なくないかもしれません。

頭の中で思い描いたコーディネートが、実際に着てみるとイメージしたようなバランスではなかったり、思ったほど似合わないというような経験は、どなたにもあるのではないでしょうか。

自分が着る服よりも、他人が着る服の方がうまく選べる、ということもあるかもしれません。



自分の服よりも他人の服の方がうまく選べるというのも、あらためて考えると少し不思議に感じられるかもしれません。

他人のことよりも自分のことの方がずっとよく分かっているはずなのに、こういうことは間々起こり得ます。

その理由の一つは(そしておそらく最も大きな理由でもあるかもしれません)、人は構造上自分で自分を見ることができないということが大きく影響しているように思います。



鏡等の反射するもの、カメラやビデオ等の記録媒体を通さないと、人は自分自身を見ることができません。

私たちは生まれてから一度も自分自身から離れることはありませんが、それと同時に自分自身を見られない時間の方がずっと多いのです。

客観的に見た自分の姿のイメージがぼんやりしているために、頭の中で思い描いたコーディネートがうまく似合わなかったり、目で見ることができる他人の服の方がうまく選べるということが起こるのでしょう。



人は毎瞬間、自分の思考や感情を体験していますが、一方でそれを体験している時の自分自身を見ることはほとんどありません。

楽しい時、かなしい時、不安な時、怒っている時、自分がどんな表情をして、どんな動きや姿勢をしているのか、詳細に知っているという人はほとんどいないでしょう。

しかし、無意識の感情や願望の多くは目線や表情、身体の動き、姿勢等に表れてきます。

不安な時、知らずしらず手をぎゅっと握っていたり、怒っている時表情が固くなる等、特定の感情や状況に結びついた自分の表情、姿、動きが誰しもあるものです。

身近な他者の方が、自分のそうした癖やよくする仕草等を知っているかもしれません。



鏡等を使って自分を観察する機会を作ったり、他者から見た自分の姿を聞いてみると、よく知っていると思っていた自分自身について、あらためて気づくことがいろいろとあるかもしれません。



かしこ

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