今、私は何をしている?

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



5月もちょうど半ばになりました。

月初の連休の週と今週とでは、まったく違う一週間を過ごされているでしょうか。

次の祝日までしばらく間があきますが、ご無理のないペースで日々を重ねてけますように。



今年の前半も残り一ヶ月半。

時間が経つのはあっという間だと感じられる方も、少なくないかもしれません。

よく記憶力の良し悪しをはかるのに、「おとといの晩ごはんに何を食べたか?」という質問が話題になることがあります。

積み重ねていく一日一日の体験の中で、覚えていること、思い出せることは、どれくらいあるでしょうか。

今、自分が何を感じているか?

「今」感じていること、「今」思っていることに自覚的な瞬間がどれだけあるでしょうか。



自分の体験に自覚的であるということは、自分がしていること、自分が感じていること、自分が思っていることを、客観的に認識する、メタ視点に立っているということです。

たとえば、好きなものを食べて「おいしい!」と喜んでいる自分を自覚し、「今私は、好きなものを食べて、おいしい、うれしいと感じているな」とあらためて思うこと、認識するようなことを指します。

自分が今感じていること、体験していることを、しみじみと「ああ、今私は〇〇だな」と感じるようなことがあると思います。

そうした時、人は、ただ目の前の事象を体験しているだけでなく、その体験の内容と、体験している自分を客観的にも認識しながら体験していると言えます。



ただ、その体験が強い印象を持つものでない限り、時間とともに記憶からも流れていってしまいます。

おとといの晩ごはんを思い出せないのも、特別な印象を持たない体験は、直近〜今の体験に少しずつ上書きされるように、記憶から流れていってしまうからです。

しかし、おとといの晩ごはんが特別な印象を持っていれば、思い出すことも難しくないでしょう。

大好きなものを食べたり、すごくおいしいと感じる食事だったり、特別な出来事を伴うディナーだったり、感情によって強く印象付けれらた体験ほど、記憶にも強く残りやすくなります。

それでも、単に好きなものを食べただけの体験は、何日もすると「日常の体験」の一つとして、記憶から流れていってしまうことも少なくないでしょう。

しかし、それが付き合っている人に告白したディナーだったりしたら、歳を重ねてもその時に感じた感覚まで覚えているほどの、大切な思い出になるかもしれません。



ためしに、今日の午前中、自分が何を感じ、何を思い、どんな体験をして過ごしたか、思い返してみてください。

今日の半日を振り返ってみただけでも、今の体験に自覚的な瞬間は、もしかしたらほとんどないと気づかれるかもしれません。

昨日、おととい、一週間前、もしかしたら、ゴールデンウィークの連休中には、あらためて思い返したい、噛み締めたいと思う体験があったかもしれません。



どんな風に過ごした一日も、人生の中の一日に変わりはありません。

新しい一日の記憶に流れていってしまうような、「いつもの」一日を過ごしたとしても、その一日の中に、今の自分の体験に自覚的でいる時間を持つことはいくらでも可能です。

今、あなたは、自分にどんな体験をあげたいでしょうか。



あらあらかしこ

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