こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
日々さまざまな出来事に対応していると、「なんでもっとうまくできなかったんだろう…」とか、「もっとちゃんとできたはずなのに」と、つい思ってしまうようなことが起こることがあります。
最近のことはもちろん、昔のことも不意に思い出しては、「なんであの時…」と、後悔や自己嫌悪に陥ることもあると思います。
私も時々唐突に昔のことを思い出しては、恥ずかしい気持ちや悔しい気持ちを思い出して、「ああ~…」となることがあります。
図らずも、もしくは自分の未熟さや至らなさゆえにひどいことや間違ったことをしてしまったというような記憶は、その出来事をなかったことにしたいという思いから、自分も消えてしまいたいと思ってしまうこともあります。
過去から急に襲ってくるこうした感情は意外に強固で、切り替えようとしてもしばらく自己嫌悪にさいなまれることも珍しくありません。
こうした気持ちの裏には「もっとできたはずなのに(できなかった)」という評価が存在します。
自分にはもっとちゃんとできるだけの力があったはずなのに、そうできなかったという自分に対する評価が、悔しさや自己嫌悪を増幅させるのです。
しかし、こうした評価はあくまで事後だからできる評価です。
何かをするのに十分な能力が備わっていたとしても、それがいつどんな時でも最良のパフォーマンスで発揮できるというわけではありません。
自分の能力を十分以上に発揮するためには、それができるだけのコンディションも整っていなければいけないのです。
コンディションとは、自分自身の状態の良し悪しももちろんですが、状況や環境の良し悪しも含まれます。
自分がよい状態で、かつ、自分を取り巻く環境や状況もよい状態であってはじめて、自分の能力を十分に生かしたパフォーマンスをすることができるのです。
悔しく、自己嫌悪をもたらす事後評価には、往々にしてその時のコンディションの評価は含まれず、単純に自分の能力としてできたかどうかで評価してしまっていることも少なくありません。
「あの時もっとこうできたら…」、「あの人がこうしてくれたらうまくいったのに…」というような、あり得たはずの可能性の話は、実際にはその時にはなかった条件(コンディション)であり、選択肢です。
そしてそれは、今どんなに後悔や自己嫌悪にさいなまれても変わることのない、過ぎてしまった出来事なのです。
NLPには、基本前提とされる考えがありますが、その中に「人は、持てる限りのリソースを使って最善を尽くしている」という項目があります。
人は常にその時々の自分にできる最良の選択(行動)をしている、という考えです。
時々刻々と微細に変わり続ける環境や状況、自分自身の身体の状態、心の状態、数え切れないほど無数の要因に影響を受けながら、その時の自分にできる最善を選択しているのです。
忸怩たる思いで過去を思い出すということは、忘れてしまうよりも、今から先によりよい行動を選択できるということでもあります。
後悔や自己嫌悪で自分を過去にピン留めしてしまうより、過去の出来事をコンディションも含めて再評価することで、これからの選択肢を広げる方へ生かしていけるといいですね。
かしこ
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