一度に一つだけ

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



8月に入りましたが、変わらず酷暑が続いています。

立秋も近いですが、暑さの出口はまだ見えないようです。

沖縄地方では、台風の影響も続いています。

どうぞ皆さまお気をつけてお過ごしください。



心配事や、大きな感情が心を占めている時でも、他方ではいつもの日常が流れていきます。

深い悲嘆やうつ状態では、日常の生活がままならなくなることもありますが、日常生活の方を成り立たせるために必要な実務や作業が、心の重荷から一時的に距離をとる助けになることがあります。

外界からの要請に応えている間は、しんどい感情が満ちている自分の内側の世界へ意識を向けなくて済むのです。



人は、マルチタスクができるように感じていますが、今では本当の意味でマルチタスクができる人というのは非常に少ないと考えられているそうです。

近年のマルチタスクに関する研究からは、実際には脳は一度に一つのことしか扱えず、複数の事柄を脳内ですばやく切り替えることで、あたかも同時進行しているように見えているだけということが分かっているそうです。

ご自身の体験から、そうした実感をお持ちの方も少なくないかもしれません。



先述した、現実的な実務に従事することで心の重荷から一時的にでも距離を取れるということも、逆に心を占める重荷から焦点をそらすことができずに日常生活が滞ってしまうことも、脳が一度に一つのことしか扱えないから生じると言えるかもしれません。

意識を向ける方向をすばやく切り替えることはできても、別々の事柄を完全に同時に扱うことはできないのです。



脳が一度に一つのことしか扱えないことは、メリットにもデメリットにもなり得ます。

しんどい時、重荷のない方に意識を向けることで、その間は重荷から距離を置くことができる一方で、重荷を見ないようにし続けることもできてしまうからです。

たとえば、現実からの要請に没頭し過ぎている時、もしかしたら自分の内側の何かから目を逸らしているかもしれません。

心を占める感情や考えに浸かっている時、もしかしたら生きることがないがしろになっているかもしれません。

脳が一度に一つのことしか扱えないということは、今意識で把握している範囲の外に、見えていない死角が必ずあるということです。



日々、現実(外界)ではさまざまなことが起き、心(内界)にはさまざまなものがわき起こります。

そのうちのどれだけを私たちは把握できているのでしょう。

それでも、もし脳が一度にたくさんのことを扱えていたら、その分だけ思い悩むことも増えていたかもしれません。

把握する対象を素早く切り替えることはできるけれど、一度に扱えるのは一つだけという脳の機能は、実はすごくありがたいことなのかもしれません。



かしこ

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