人は目(意識)を向けている方向に進む

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



先日から自動車学校に通いはじめました。

近場を自分だけ移動する分には自転車で十分だったのですが、今後のことを考えると車を運転できた方がいいと思い、第一段階を受講中です。



普段スマホやパソコン等、目線を近くに向けることが多いこともあって、技能教習では最初の頃遠くを見ることを意識していないと、近くばかり見てハンドルが慌てた動きになってしまうことがよくありました。

教官からも、「目線は遠く」「これから向かう先に目線を向けると自然と手元もその方向に動く」と度々アドバイスをもらい、そのように意識すると運転もうまくいくようになりました。



自転車でもそうですが、自分ではそんなつもりはなくても、目を向けた方向に手(ハンドル)も動かしてしまうものです。

ちょっと何かに気を取られてよそ見をしただけでも、よそ見の目線と同じ方向に身体も動いてしまう。

自分で感じている以上に、目を向ける、意識を向けるというのは、進む方向を定めることに直結しているようです。



物理的な目線だけでなく、心理的な目線も同じことが言えそうです。

目標、ゴール、なりたい姿、望みを意識しているかいないかは、望む未来を現実にできるかどうかに大きくかかわっています。
他者のことばかり見て、気にしている人は、自分自身のことがおろそかになってしまうでしょう。

自分自身の問題を棚上げしたくて、他者に口出ししてばかりの人もいます。

政治でも、国内の問題から国民の目をそらす上で、他国に目を向けさせるのは常套手段です。

その人が見ている方向で、見ていないものが分かり、他者の目線をどこに向けようとしているかで、見てほしくないものが分かる、とも言えます。



自動車の教習でも、教官に指摘されるまで運転することに必死で、自分がどこを見ている(見ていた)のか明確に自覚していないことがありました。

人は自分が思っているより、自分がどこを向き何を見ているのか、何を見ていないのか、見ないようにしているのかを、はっきりと自覚しないまま過ごしているようです。



どこを見ているか自覚していなくても車は見ている方向に進むように、人生も意識が向いている方向いている方へ進んでいきます。

自分の人生が望む形でないと感じられる時は、自分が何を見ているのか、そして何を見ていないのかをあらためてみると気づかれることがあるかもしれません。



物理的に目で見ることのできる外側の人や物事につい意識を向けがちになることも多いかもしれませんが、自分自身に目を向け、目をかけることを意識して、しっかりと自分自身の人生を歩んでいきたいですね。



かしこ

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