響きあう言葉たち

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



11月も最後の週に入り、年の瀬に向けて少しずつ準備を始めている方もいらっしゃるかもしれません。

お歳暮を送ったり、来年のカレンダーや手帳を見繕ったり、いつまでに何を買うか当たりをつけたり、必要なことを一つひとつ挙げていくだけで、なんだか気持ちが忙しなくなるような気がします。

季節外れのあたたかさから、今季一番の冷え込みや降雪等、今月は数日で大きく変化する天気に、体調の管理も難しい日が続きました。

さまざまな感染症も流行っているようですので、健康第一で、残りの一ヶ月強も良い日々を重ねていきたいですね。



生活の中は、言葉であふれています。

言葉を覚える前、私は「私」や「世界」をどんな風に認識していたのでしょうか。

言葉を覚えてからの記憶しかないため、想像すら追いつきません。

外から耳にする言葉、自分の内側に浮かんでくる言葉。

多くの場合、それら一つひとつを特別気にすることなく過ごしているのではないでしょうか。

もちろん、その時々によって、特別気になったり、引っかかる言葉もあるでしょう。

しかし、自分の中、そして自分の周りに日々あふれている言葉の多さを思うと、普段どれだけの言葉を自然とスルーしながら生きているのかと、少し驚くかもしれません。



気にしていない、特に気に留めてもいない、たくさんの言葉たち。

意識に上らないからといって、影響を受けていないわけではありません。

自分が聞く言葉、自分が見る言葉、自分が発する言葉、自分の内側に浮かんでくる言葉、自分の無意識に刻まれた言葉。

意識しないまま、知らないまま、どんな言葉に、どれくらい影響を受けながら、私の一日は、私の人生は、形作られているのでしょう。

自分に向けられた言葉でなくても、誰かに向けられた言葉でも、自分が他者に向けて発した言葉でも、自分も知覚したのなら、それらも自分に影響を及ぼしています。

普段の自分の周りにあふれている言葉、自分の内側に浮かび上がる言葉、それらは自分の心にどんな影響を及ぼす言葉たちでしょうか。



心を安らかに保つために、耳障りな言葉を排除すればいいかというと、そういうわけでもなく。

耳に痛い言葉もすべて、ありがたがって受け取ればいいかというと、そういうわけでもなく。

発する言葉にも、受け止める言葉にも、知覚する本人の「都合」が反映されるのであれば、自分自身の心を探求して、今の自分が何を利する言葉を望んでいるのか意識できるようになる以外、自分にとって「良い」言葉も「悪い」言葉も、「必要な」言葉も「不要な」言葉も、きちんと判断することすらできないのだろうと思えます。



私の世界は、どんな言葉であれふているだろう。

あなたの世界は、どんな言葉であふれていますか。

耳にやさしい言葉ばかりでも、厳しい言葉ばかりでも、心を養うことにつながるわけではないのかもしれません。

しかし、美しいと感じる言葉たちは、きっと自分の内側の世界を涵養してくれるでしょう。



あらあらかしこ

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