不知の自覚

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。



5月も明日で終わりですね。

沖縄・奄美地方は梅雨入りし、これから順ぐりに各地とも雨の季節へと向かいます。

雨が増え、日照時間が減り、メンタルが低空飛行になりやすいかもしれませんが、そうと分かっていればあらかじめ対策することもできます。

ご自身の心身の状態を気にかけて丁寧にケアをしながら、夏の到来を待ちたいですね。



「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。(新共同訳聖書 ルカによる福音書 23:34より)」

クリスチャンの方でなくても、もしかしたら聞いたことのある一節かもしれません。

十字架に磔にされながら、イエス様が最初に口にしたのは自身を磔刑に追いやった人々への赦しを願う言葉でした。



「自分が何をしているのか知らないのです」

自分のことをふり返っても、人がどれだけ無意識の感情や一時の衝動にまかせて、その選択や行動が一体どんなことであるのかも分からないまま、結果として誰かや自分を磔刑に追いやるようなことを平気でしてしまうのだろうと思ってしまいます。

他の生物より脳の容量が大きく、他の生物にはない理性や想像力を有しているとされる人間ですが、もしかしたら「自分が何をしているか知ら」ずに選び、行動していることの方が圧倒的に多いのです。



古代ギリシャの哲学者ソクラテスも、その生涯を通して「無知の知」を説きました。

「無知の知」は、近年では「不知の自覚」とも訳されるそうです。



自分の中に意識の光の届かない領域があること

自分の視野に限界があり見えていないものがあること

視点が変われば見えるものが違ってくること

自分が感情にコントロールされていること

自分は全知でも全能でもなく知らないことばかりで限界のある存在であること



自分がいかに「知らない」のか、その自覚なしに真に善く生きることはできないというのは、ソクラテスの言です。

「無知は罪なり」は、実際にソクラテスが述べた言葉か定かではないそうですが、自分が知らないことに気づかないまま生きるということが、目隠しをしたまま生きているようなものと思えば、知らないまま、善と信じながら、間違いを重ねることも珍しいことではないのでしょう。

「不知の自覚」は、己がいかに未熟で、傲慢で、愚かであるかを教えてくれます。



どんな経験をどれだけ積み重ねたとしても、「自分が何をしているのか知らない」ままなら積み上げた経験を成長に生かすこともできません。

正しいことをしていると思う時、これしかないと思える時ほど、自分が知らず、見えていないものがあるかもしれないと、肝に銘じておきたいものです。



自戒をこめて

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